なら再発見
第11回へ                  第12回 2013年1月12日掲載                  第13回へ
そうめんの里、三輪 ――極寒期が製造ピーク
 そうめんは、奈良時代に中国から伝わった索餅(さくべい)が原形とされ、貴族が食べる特別な一品だった。索餅は、索麺(さくめん)とか麦縄(むぎなわ)とも呼ばれた。
 長屋王の邸宅跡から「山寺麦縄」と書かれた木簡が出土しており、長屋王も食べていたのだろう。水車による製粉は奈良時代から行われていたとされ、臼の破片も出土している。

 「三輪そうめん」は、巻向川と初瀬川が流れる桜井市の三輪山のふもとで作られる。この地は古来、水垣内(みずかきうち)と呼ばれ、神聖視されてきた。崇神天皇の磯城瑞籬宮(しきのみずがきのみや)推定地もここにある。
 かつて巻向川では多くの水車が回り、小麦をひいていた。そうめんは夏の食品だが、作るのは極寒期だ。
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 三輪で定着したのは、三輪山からわき出る良質の水に恵まれ、質の高い小麦がとれるのが理由。冬には湿度が低く、寒風が吹き下ろす気象条件もそうめんづくりに適している。
 農家の副業で、冬場の農閑期の労働力を利用して行われてきた。三輪そうめんの特徴は、細いのに腰がしっかりし、煮くずれしにくいこと。歯ごたえも舌ざわりも抜群だ。
 生産後、1年以上寝かせたものを古物(ひねもの)、2年以上は大古(おおひね)と呼ばれる。寝かせると腰が強く、のどごしも良くなるとされる。
 最近は、よく袋入りの節麺(ふしめん)を見かける。そうめんの副産物で、延ばす時に棒にかかる曲線の部分を切り分けたものだ。形が三味線の撥(ばち)に似ていることからバチとか素麺(そうめん)節とも呼ばれる。鍋料理や、みそ汁の具にしてもおいしい。
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真冬の風物詩となっている「三輪そうめん」の寒干し=桜井市
 子供のころから三輪そうめんに親しんできたので、夏に上京した際、デパートにずらりと並べられたそうめんを見て驚いた。そこで売られていたのは、今やそうめん生産量日本一の兵庫産揖保乃糸(いぼのいと)だったからだ。しかし、調べてみると揖保乃糸のルーツは、三輪そうめんだった。三輪そうめんの製造技術が伝えられたのがきっかけで、19世紀初頭から播磨地方でも本格的にそうめんが作られるようになったという。

 兵庫県たつの市には、素麺神社の異名をもつ大神(おおみわ)神社がある。明治2年、そうめん業者が三輪の大神神社から札を授かり祠(ほこら)を建てたのがはじまりで、そうめん業者の守り神として祭られているそうだ。
 三輪そうめんの製造技術は全国に広まり、徳島の半田そうめんや香川の小豆島そうめん、長崎の島原そうめんとして、各地に定着したようだ。そうめんづくりは、これからが本番。タイミングが合えば、寒干しのシーンにお目にかかれる。ぜひ三輪の里を訪ねていただきたい。

(奈良まほろばソムリエ友の会事務局長 鉄田憲男)
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