なら再発見
第14回へ                  第15回 2013年2月2日掲載                   第16回へ
奈良・王龍寺 ――癒やしの石仏に見とれ
 
 奈良を歩くと、至る所で石仏に出合う。中でも際だって美しい石仏のひとつが、奈良市二名の王龍寺(おうりゅうじ)の本尊・十一面観音菩薩立像。 本堂背後の巨岩に彫られた観音だ。 
 同寺は、矢田丘陵の北端にある黄檗(おうばく)宗の寺。近鉄奈良線富雄駅から茶筅(ちゃせん)の里、高山に続く富雄川沿いを北に向かう。 1キロほど進み道標に従って左に折れると、ゆるい登り坂となる。さらに、飛鳥カンツリー倶楽部を横切ると山門にたどりつく。
 ここまで駅から約40分の道のり。山門をくぐると深い森の中に苔(こけ)むした長い石段が続き、古寺の趣がある。
 聖武天皇の命により創建されたと伝わるが、中世には兵火などで一時廃絶した。元禄2(1689)年になって、郡山藩主の本田忠平によって再興された。
 普段は非公開のようだが、寺に特別にお願いすると、ご住職の奥さまが快く本堂の鍵を開けてくれた。
  王龍寺の本堂
 堂内は外陣と内陣に分かれ、床は禅寺特有の黒瓦敷で、周囲には十八羅漢(らかん)像が並ぶ。
 正面祭壇の奥の内陣は、明かり取りの小窓があるのみで薄暗く、1本のロウソクの灯が揺らめいている。
 間近に見る巨大な壁に彫られた観音の表情は、柔和で優しい。切れ長の目に柳眉(りゅうび)のふっくらとした顔で、ほほ笑みをたたえている。右手は下に伸ばし、左手には蓮の花を挿した水瓶(すいびょう)を携えている。まさに癒やしの観音だ。
 巨大な花崗岩(かこうがん)に刻まれた十一面観音は、高さ2メートル余り。背面を彫りくぼめた上に、浮き彫りにされている。
 本尊の右上には不動明王もあり、やや厳しい顔つきで見下ろされている。
 これらの像は、岩に磨崖仏(まがいぶつ)として彫られ、後から本堂を建てて内陣に取り入れたのだろう。本堂の裏に回るとその痕跡が残っている。
 奈良市教委の説明板には「堂内にある大きな花崗岩の正面に建武3(1336)年の刻銘を有する十一面観音立像、その脇に文明元(1469)年の刻銘を有する不動明王立像が彫られている。なかでも十一面観音立像は南北朝の様式をよく伝える貴重なものである」とある。
 建武3年といえば、後醍醐天皇が吉野に入った年。楠木正成が一時この地に身を寄せたという話があり、周辺でも両勢力の争いがあったのだろうか。
 この石仏も戦乱の世にあって、平和への願いを込めて彫られたのかもしれない。そんなことを考えながら、昼なお暗い参道を引き返した。

(奈良まほろばソムリエ友の会 会長 小北博孝)
穏やかな表情を浮かべる十一面観音菩薩立像の石仏=奈良市の王龍寺  
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