なら再発見
第17回へ                  第18回 2013年3月2日掲載                   第19回へ
太子ゆかりの地ぶらり ――今も愛される愛犬と愛馬
 
 聖徳太子の愛馬といえば、黒駒。甲斐(かい)の国(山梨県)から献上された漆黒の馬とされ、太子ゆかりの地では黒駒の像を見かけることがある。
 昨秋、斑鳩から飛鳥に通じる太子道(筋違(すじかい)道)沿いの三宅町の白山(はくさん)神社で、黒駒に乗った太子と従者調子麿(ちょうしまろ)の像が、約70年ぶりに復活したのは記憶に新しい。
 平安時代成立の「聖徳太子伝暦」には、黒駒に乗った太子が天高く飛び上がり、東国に向かい富士山を越えたとあり、これを題材にした絵も数多く伝えられている。
 黒駒は太子が亡くなったとき、棺に寄り添ったまま死んだと伝えられる。斑鳩町には黒駒の墓ともいわれる駒塚古墳が存在するが、4世紀の墳墓とされ、太子が生きた時代とは異なる。
 しかし、この古墳の被葬者が誰であれ、愛馬を葬った塚という伝説はいかに黒駒が特別な存在であったかを物語る。
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  黒駒の墓ともいわれる駒塚古墳=斑鳩町
 太子には、愛犬もいたとの伝説も残っている。片岡飢人(きじん)伝説で知られる王寺町本町の達磨寺(だるまじ)だ。
 「日本書紀」には、太子が片岡(現・王寺町)で飢えて道に臥(ふ)している人に会い、自分の衣食を与えたが翌日亡くなったことを知り、手厚く葬らせた。後日墓を調べると遺体はなく、たたまれた衣服だけが棺の上に残っていた、とある。
 世の人は、飢人は達磨大師の化身だと言い、墓の場所が達磨寺となった。
 その境内に太子の愛犬「雪丸」の石像がある。雪のように白い犬で、とても賢い犬だったという。
 達磨寺に伝わる雪丸の伝説によると「言葉を話したり経を唱えることができた」ほか、「死ねば本堂の鬼門を守るため東北隅に葬ってほしい」といったとある。
 
 白い犬で言葉を話す。今から1400年前にはすでに、テレビCMで大人気の「お父さん犬」の先達がいたのだ。
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 太子は自ら石工に命じて雪丸像を作らせたとされ、江戸寛政年間刊行の「大和名所図会」には本堂東北隅に犬と思われる像が描かれている。
 現在の雪丸像は江戸期の作と考えられる。平成15年に本堂の西南に移されて、参拝者を迎えている。元旦に雪丸が鳴くとその年は豊作になるとの伝承もある。
 達磨寺の日野周圭(しゅうけい)住職によると、「除夜の鐘をつくのに忙しいので、鳴いていても聞こえませんなぁ」。
 雪丸は、達磨寺のある王寺町の観光振興にも一役買っている。王寺町商工会では烏帽子(えぼし)をかぶった雪丸のぬいぐるみや小物を売り出している。
 今も語り継がれ、人々から愛される黒駒と雪丸。動物に向ける愛情は昔も今も変わらない。

(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 辰馬真知子)
達磨寺の雪丸像と王寺町商工会の雪丸グッズ=王寺町  
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