なら再発見
第23回へ                  第24回 2013年4月13日掲載                  第25回へ >
飛鳥鍋と蘇 ――牛乳伝来、普及の歴史刻む
 
 鍋物と言えば、定番は寄せ鍋や水炊きだが、奈良の伝統的な鍋は牛乳ベースの「飛鳥鍋」だ。
 薄口醤油(しょうゆ)で味付けし、出汁(だし)に鶏肉などの具材を入れ、最後に牛乳を注ぐ。牛乳を加えてからは、強く煮立てないのがコツだ。
 なぜ牛乳ベースの鍋物を「飛鳥鍋」と呼ぶのだろう。これには、わが国における牛乳の伝来、普及の歴史と密接な関係があった。
  *   *   *
 「日本書紀」の神武東遷の記述に出てくる「牛酒(ししさけ)」が牛乳との説があり、古くから牛乳が飲まれていた可能性がある。
 しかし、一般には欽明天皇23(562)年、呉国主照淵(しょうえん)の孫、智聡(ちそう)らの一族が来日した際、医学書や経典とともに、牛乳の薬効や牛の飼育法を記した書物を持ち込んだとされる。
 大化の改新(645年)のころ、智聡の子、善那(ぜんな)が孝徳天皇に牛乳を献上したところ、天皇はたいそう喜び、善那に「和薬使主(やまとのくすしのおみ)」の姓(かばね)と、「乳長上(ちちのちょうじょう)」という乳製品技官のような職を授けたのが、牛乳飲用の始まりと伝わる。
>
  牛乳をベースにしたまろやかな味わいの「飛鳥鍋」
 当時、牛乳は薬と考えられていた。確かに、牛乳に含まれるカルシウムやアミノ酸のトリプトファンには、神経を鎮め、精神を安定させる働きがある。
 善那が天皇に牛乳を献上したことで、飛鳥時代に牛乳が飲用されていたことが記録に残った。
 しかし、古代日本の乳牛は、ホルスタイン種のように品種改良したものではなく、現在の和牛よりさらに小さかった。しぼれる量も少なく、子牛の飼育に必要な分を除くと、ごくわずかしか残らなかったようだ。
 貴重な牛乳で鶏肉を煮たのが飛鳥鍋のルーツとされる。まさに飛鳥時代に考案された鍋物だった。
 それが後々まで、飛鳥地方の郷土料理として伝えられた。今では県の「奈良のうまいもの」にも選定され、県内のホテルや旅館、飲食店でも提供されている。
   *   *   *
 文武天皇4(700)年のころ、朝廷は諸国に命じて牧場を拓(ひら)き、牛を放牧させる。雌牛が子牛を生んで乳が分泌されると、朝廷は牛乳をしぼり、「蘇(そ)」に加工して都に献納することを命じた。
 蘇は牛乳を長時間煮詰めた加工食品。チーズの元祖で、淡泊な味わいだ。奈良時代から平安時代にかけて各地で製造され、都に納められた。
 さらに濃縮、熟成したのが「醍醐(だいご)」で、「醍醐味(だいごみ)」の語源だが、製法は伝えられていない。
   *   *   *
 明日香村に近い、天香具山のふもとにある西井牧場(橿原市)では、「飛鳥の蘇」を製造している。昭和62年、飛鳥資料館の指導を得て再現した自然食品だ。
 口の中に入れると、ほろほろと崩れながら溶けてゆく。味わい深い逸品で、日本酒やワインにも合う。
 この牧場では、干し草や飼料にこだわって育てた乳牛から、低温殺菌牛乳や飲むヨーグルト、アイスクリームなども製造、販売している。
 蘇は中央アジアの草原の民が生みだした食べ物に違いない。シルクロードを通り、大陸、半島を経て、はるか飛鳥の都に伝えられたのだ。
 「シルクロードはミルクロード」「蘇は元気の素」。とりとめないことを考えながら蘇をつついているうちに、中央アジアの草原で昼寝をする子牛の気分になってきた。

(NPO法人奈良まほろばソムリエの会専務理事  鉄田憲男)
西井牧場が再現した「飛鳥の蘇」  
なら再発見トップページへ
COPYRIGHT (C) 奈良まほろばソムリエの会 ALL RIGHTS RESERVED.