なら再発見
第40回へ                  第41回 2013年8月17日掲載                  第42回へ >
栃尾観音堂の円空仏 ―― 江戸期の仏像も魅力的
 
 県内には飛鳥時代をはじめ古い時代の優れた仏像が多いが、江戸時代の魅力あふれる仏像もある。
 天川(てんかわ)村にある栃尾(とちお)観音堂の円空仏(えんくうぶつ)もその一例だ。
 聖観音菩薩立像(高さ137センチ)、大弁財天女立像(86センチ)、金剛童子像(84センチ)、護法(ごほう)神像(50センチ)の4体が祭られている。
 金剛童子は仏法の守護神で、阿弥陀仏の化身ともいわれる。護法神も仏法や仏教徒を守る神で、円空作最初の護法神像といわれる。
 円空は美濃国(今の岐阜県)出身。江戸時代前期(1632〜1695年)の修験僧で、全国に「円空仏」と呼ばれる木彫りの仏像を残したことで知られる。北海道から奈良県まで各地の霊山を巡り、生涯で12万体の仏像を彫ったという。
 円空は訪れた土地の木を素材に仏像を造った。自然の木のまま、マキ割り用のナタやチョウナをふるい、ノミや小刀でざくざく彫った。木の生命力を感じさせる荒々しい彫りで、大胆に省略した造形だが、人を引きつけずにはおかない温かな微笑をたたえる。


4体の仏像が祭られている栃尾観音堂=天川村
 現在までに約5300体発見されている円空仏は全国にあるが、その大半は愛知県と岐阜県に集中しており、関西では珍しい。
 県内には19体あるという。法隆寺に大日如来座像、松尾寺に役行者(えんのぎょうじゃ)像、そして天川村に16体。天河大辨財(てんかわだいべんざい)天社の大黒天像、大峯山寺の阿弥陀如来像、栃尾観音堂に4体などだ。その中で通常、一般に公開されているのはここだけだ。
 円空は歌人でもある。県内に3度訪れて仏像を残す一方、歌も詠んだ。1度目は寛文11(1671)年、法隆寺西院堂で修行した。
 《万代(よろずよ)に目出度(めでたき)神の在(ましま)して名を九重(ここのえ)のいかるがの寺》
 2度目は寛文12(1672)年、天川村から修験道の霊地で役行者が修行したという大峯山の洞窟「笙ノ窟(しょうのいわや)」に入り、命を懸けた厳しい冬ごもりの荒行をした。
 《こけむしろ笙(しょう)の窟(いわや)にしきのへて/長夜(ながよ)のこる法(のり)のともしび》 《昨日今日小篠(おざさの)山に降雪(ふるゆき)は/年の終(おわり)の神の形(かげ)かも》 《大峯(おおみね)や天川(あまのかわら)に年をへて/又くる春に花やみるらん》


栃尾観音堂の聖観音菩薩立像
 3度目は延宝3(1675)年、ふたたび大峯山で修行した。
 栃尾観音堂の諸像は最初の大峯修行の際に刻まれた。
 観音堂の管理をしている瀬上(せのうえ)家の話では、当時円空は瀬上家に滞在し、毎日裏山の小屋に出かけて彫った。その後、護法神像は瀬上家内の祠(ほこら)に、他の3体は裏山の小さな祠に祭られた。
 瀬上家では、子供が悪さをすると怖い顔の護法神像を背中にかつがせて、しつけをした。
 山の祠は大雨による土砂崩れなどで何回か流され、その都度場所を移してきたが、昭和30年代に現在のお堂に納められた。その際瀬上家の護法神像もあわせて4体一緒に祭られることになったという。
 300年以上前から栃尾の人々の厚い信仰で守られてきた諸像は、弘法大師一夜の作と伝えられてきたが、47年秋の学術調査によって円空作と判明し、一気に注目を浴びた。
 天川村は、その4分の1が吉野熊野国立公園に指定され、「ごろごろ水」で有名な洞川(どろかわ)湧水群は、環境省の「名水百選」に選ばれている。温泉や鍾乳洞、渓谷など美しい大自然に恵まれ、多くの人びとを引きつけている。
 また1300年もの歴史を刻み、役行者を開祖とする修験道の聖地、南北朝時代の南朝方の拠点として、天河大辨財天社、龍泉寺など名所旧跡も多い。
 四季折々に豊かな自然と歴史に恵まれた村を訪れてみてはいかがだろうか。

(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 石田一雄)
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