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第44回へ                  第45回 2013年9月14日掲載                  第46回へ >
称名寺の村田珠光 ―― 利休が完成「わび茶」の開祖
 
 大和とお茶の結びつきは古い。大同元(806)年、弘法大師・空海が唐から茶の種を持ち帰って室生にまき、製法を伝えたことに始まるという。宇陀市榛原の佛隆寺(ぶつりゅうじ)には空海が持ち帰ったという茶臼(ちゃうす)が伝わり、境内には「大和茶発祥伝承地」と書かれた大きな石碑が建つ。
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 西大寺の叡尊(えいそん)は弘安9(1286)年、「殺生禁断」を条件に宇治橋を改修するとともに、宇冶川の漁師に茶の栽培を教えて生業とさせ、それが後の宇治茶盛業の起源になった。
 今も西大寺では、叡尊をしのんで大茶盛(おおちゃもり)式が営まれる。初釜は1月15日、春は4月第2日曜日とその前日、秋は10月の第2日曜日なので、今秋は13日に行われる。
 わび茶を完成したのは千利休だが、開祖は村田珠光(じゅこう)である。珠光は室町時代中期、11歳で得度し、奈良市の称名寺(しょうみょうじ)に入った。
 吉野郡で生まれた武野紹鴎(じょうおう)は、珠光が基礎を築いたわび茶を洗練し、精神性を高めたとされる。紹鴎からわび茶の精神を受け継いだのが千利休、津田宗及(そうぎゅう)、今井宗久(そうきゅう)で「天下三宗匠」と並び称される。今井宗久は橿原市今井町の出身といわれる。
 大和郡山市・慈光院の石州(せきしゅう)流は、片桐石州(貞昌)が利休の長男の流れをくむ桑山宗仙に師事して作った流派である。


石碑に「茶禮祖 珠光舊跡」とある称名寺=奈良市

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 そんなゆかりで、奈良市内の社寺などで大茶会が開かれる。来年2月12日から5日間開催される「珠光茶会」である。本格的な「流派席」と観光客も楽しめる「一般席」が設けられる予定だ。発祥地であり、伝統文化を重んじる奈良において茶文化を確立し、すそ野を広げることを目的としている。
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 珠光が住した称名寺は奈良市菖蒲池(しょうぶいけ)町。気づかずに通り過ぎる人も多いが、やすらぎの道から奈良県立大学に向かう道沿いにある。鎌倉時代に興福寺の学僧だった専英(せんえい)・琳英(りんえい)兄弟が創建した。当初は興福寺の北にあったので興北寺ともいわれたが、室町時代に現在地に移された。今の本堂は享和2(1802)年の再建である。  


称名寺境内の千体地蔵尊
 境内には千体地蔵尊といわれるたくさんの石仏がある。その数は約1900体。松永久秀の多聞城に使われ、廃城で散乱していた石仏や墓石を、観阿(かんあ)上人が集めたものだという。
 称名寺には獨盧庵(通称・珠光庵)という茶室がある。広さを変えられるという趣向を凝らした茶室で、毎年5月15日の珠光の命日には珠光忌法要が営まれ、本堂や本尊、獨盧庵が特別公開される。
 今年12月には、映画「利休にたずねよ」が公開される。原作は山本兼一が直木賞を受賞した同名の小説で、主人公の千利休を演じるのは市川海老蔵(えびぞう)だ。この映画の公開でわび茶が話題になれば、「珠光茶会」の集客にも追い風となる。
 わび茶発祥の奈良で初めての大茶会。ぜひ成功させ、「わび茶の開祖・村田珠光」の名をを大いに広めたいものだ。

(NPO法人奈良まほろばソムリエの会専務理事 鉄田憲男)
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