なら再発見
第64回へ                  第65回 2014年2月8日掲載                  第66回へ >
生駒山上遊園地 ―― ”84歳“飛行塔いまだ現役
 
 今から84年前に近畿日本鉄道は生駒山頂(標高642メートル)に遊園地を開園し、そこに当時東洋一の飛行塔を設置した。この飛行塔は今も現役で、日本最古の大型遊戯機器としてその雄姿を誇っている。
 「奈良まほろばソムリエ検定公式テキストブック」(山と渓谷社刊)では、我が国の発展期における近代化を支えた鉄道や構造物などを「近代化遺産」としているが、そこでこの飛行塔を紹介している。
 生駒山は金剛生駒紀泉国定公園の一角、大阪府との境に位置する。山頂からは奈良盆地や大阪平野が望まれ、360度の展望が広がる。 近畿日本鉄道の前身となる大阪電気軌道により、大正3年、大阪・奈良間の鉄道が開通した。その後、7年には日本最初の営業用ケーブルカーとして生駒の宝山寺まで運行を始め、昭和4年には生駒山上遊園地への足としてケーブルカーを山頂まで延長した。これらもまた近代化遺産の一つである。
 飛行塔はこの遊園地開設と同時期、遊園地のシンボルとして建造された。高さ40メートル、回転部直径は20メートルもあり、複雑に組み込まれた総鉄骨製である。
 四方に吊り下げられた4機の複葉飛行機(主翼が上下2枚ある古式の飛行機)が音もなくゆっくり回転しながら上昇する。最上部では水平飛行で数回回転し再び降りてくる。その間にはさえぎる物のない大展望をほしいままに楽しむことができる。また塔本体にはエレベーターが組み込まれ、かつては最上部の展望台に上がることもできた。
 昭和4年といえば、まだ飛行機は一般的な乗り物ではなくこの斬新な乗り物に人々は驚き、憧れたことだろう。



生駒山上遊園地のケーブルカー

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生駒山上遊園地の飛行塔=生駒市
 飛行塔の制作者は「わが国の大型遊戯機器の父」と呼ばれた土井万蔵氏である。土井氏は大阪の土井文化運動機製作所の創業者で、大正7年ごろから各地の遊園地の大型遊戯機器を手掛け、この飛行塔は16番目の制作だそうだ。
 太平洋戦争末期には軍事用の鉄資材として各地の大型遊具は解体され、今はほとんど残っていないが、この飛行塔は幸運にも取り壊しを免れた。それは、当時、生駒山上にはグライダーの練習場や航空関連施設があり、その立地を活かして、この飛行塔も軍の防空監視所として使われていたためである。

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 遊園地は平成4年には、生駒山上遊園地へは約73万人が入園した。しかしその後、各地に作られた大規模テーマパークの出現や遊園地離れで入園者は減少を余儀なくされている。しかし飛行塔への人気は衰えず、いまも多くの入園者を楽しませている。
 4月からの営業再開まで冬季休園になる昨年11月の最終日、遊園地を訪れると、好天にも恵まれ、最終日にもかかわらず子供連れや若いカップルでにぎわっていた。雲ひとつない青空の下、ひっきりなしに複葉機が飛び立ち、ゆっくり回りながら上昇していく光景は、実にのどかである。
 80年以上もの間、風雪に耐えてきた飛行塔。これからも、さらに多くの人々を楽しませてくれることだろう。

(NPO法人奈良まほろばソムリエの会理事長 小北博孝)
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