なら再発見
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ささゆり奉献神事 ―― 「ゆりまつり」を支える人々
 
 初夏の奈良を彩る行事のひとつに率川(いさがわ)神社(奈良市本子守(ほんこもり)町)の三枝(さいくさ)祭がある。「ゆりまつり」の名で親しまれているこの祭は古く藤原京の時代に厄病を鎮めることを祈る国の祭祀(さいし)と規定されていた。
 三島由紀夫の小説「奔馬(ほんば)」には「これほど美しい神事は見たことがなかった」と語られている。この由緒ある優雅な祭りの主役はササユリだ。その強い香気と葉は邪気を払うと考えられてきた。

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 率川神社祭神の神武天皇の后であった媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は三輪の神の子で、三輪山の麓(ふもと)のササユリの咲き誇る狭井川のほとりに住んでいたと古事記にもみえることから、祭りに使われる花は大神(おおみわ)神社より運ばれる。もとは三輪周辺に多く自生していたが、近年の環境の変化や乱獲のために激減し、自然の形での繁茂はほとんど期待できない状況となってしまった。
 そこで平成4年から神饌田(しんせんでん)の管理と祭りを行う崇敬会「大神豊年講(ほうねんこう)」が「ささゆり奉仕団」を結成し、人工栽培事業に取り組むことになった。豊年講の講元をつとめる吉岡秀義さん=宇陀市=に話をうかがった。


自生のユリを奉納する神御子美牟須比命神社=宇陀市

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 祭りには約700本のササユリが必要という。古くは大神神社の奥院(おくのいん)でもある神御子美牟須比命(みわのみこみむすひめ)神社(宇陀市菟田野大神(おおがみ))の氏子が自生のササユリを奉納していた。
 現在でも半分ほどは大神地区の氏子と縁者が貴重な自生の花を採集し、毎年祭の前々日の15日夜に大神神社に納めている。あとの半分は豊年講が20年前から取り組んできた人工栽培で調達されている。
 平成6年にビニールハウス栽培が始められたが、種からの生育は発芽する割合が低く、開花までに7年近い歳月がかかった。同じ条件で育てても翌年開花するとはかぎらない。
 そんな厳しい状況の下、豊年講の有志の努力と熱意が実り、今では大神神社の「ささゆり園」や境内でかれんな花を観賞することができるまでになった。しかし最近では、「ユリ根」を狙うイノシシや野ウサギの獣害にも悩まされているそうだ。

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 「ゆりまつり」の前日の6月16日、大神神社に奉納された花を率川神社に運ぶ「ささゆり奉献神事」が執り行われる。


ササユリをカゴに乗せ大神神社を出発する豊年講役員=平成24年6月、桜井市

 朝、神前に供えられたササユリは豊年講役員と道中安全祈願の祈祷(きとう)をうけたあと、豊年講の人々が担ぐ駕籠(かご)に乗せられて参道を三輪駅へと進む。
 ここでJR万葉まほろば線の列車に乗り込み、約30分の列車の旅を楽しみ、率川神社のある奈良駅に到着する。
 この日列車で運ばれるのは1樽分だが、車内はササユリのさわやかな芳香に包まれる。慈しみ育ててくれた豊年講のあたたかい人々に見守られ、ササユリはとても幸せそうで、同車した人々をほのぼのとした気持ちにさせてくれる。
 平成19年にこの行事が始まるまでは自動車で運んでいた。また小説「奔馬」には昭和初期、夕映えの道を少年剣士たちが荷車いっぱいのササユリを運ぶ情景が印象的に描かれている。
 奈良に到着後は花車に乗せ、大和郡山大神講の方々も合流し「ささゆり音頭」を舞いながら華やかな行列となり率川神社へと向かう。そして「ささゆり奉献」の奉告祭が行われ、翌日の三枝祭を待つ。
 すべてが清新で人々の神へ崇敬の念に支えられた行事だ。今年もまた電車に揺られてササユリと一緒に旅をしようか。


(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 辰馬真知子)

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