やまとの神さま
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第65回 2023年11月23日掲載
神武天皇の皇子ゆかり  多神社(田原本町)


多神社の拝殿。奥の覆い屋根は修理中の本殿=田原本町で

 多(おお)神社は、古代豪族「多氏(おおし)」の本拠地だった田原本町多に鎮座しています。正式名は「多坐弥志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社」。延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記載され、かつて社域は約650メートル四方もあったと伝わります。
 古事記によると、神武天皇の崩御後、第2皇子の神八井耳命(かむやいみみのみこと)と第3皇子の神沼河耳命(かむぬまかわみみのみこと)(神淳名川耳命(かむぬなかわみみのみこと)とも書く)の兄弟が義兄の当芸志美々(たぎしみみ)と争って勝ち、兄は敵を殺した弟に皇位を譲り、弟は綏靖(すいぜい)天皇として即位しました。その後、兄がこの地に隠棲(いんせい)したことが神社の始まりで、神八井耳命が多氏の祖とされます。社名の「弥志理都比古」は神八井耳命の別名と言われ、「身を退く」との意味だとする説もあります。
 東西に4棟並ぶ本殿は、それぞれが江戸時代中ごろに建てられた一間社(いっけんしゃ)春日造り(正面の柱間が一つで、棟と直角な面に入り口がある様式)で、県指定文化財です。
 境内に古事記の編者、太安万侶(おおのやすまろ)などに関する資料館があります。平安時代の「多神宮注進状」によると、太安万侶も多氏一族で、自分の代で姓を「多」から「太」に改めましたが、後に子孫が「多」に戻したそうです。
 太安万侶の墓は1979年、奈良市此瀬町で発見されましたが、それまで墓だと伝えられた塚が神社の東南にあります。

(奈良まほろばソムリエの会会員 藤永泰雄)


(住所)田原本町多569
(祭神)神武天皇、神八井耳命(かむやいみみのみこと)、綏靖(すいぜい)天皇、玉依姫(たまよりひめ)
(交通)近鉄笠縫(かさぬい)駅から徒歩約20分
(拝観)境内自由。資料館見学は4人以上で事前予約が必要。
(駐車場)あり
(電話)0744・33・2155

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