なら再発見
第15回へ                  第16回 2013年2月9日掲載                  第17回へ
沈下橋 ――河合、斑鳩両町結ぶ生活道
 
 大和川と佐味田(さみだ)川の合流点から少し下流に、河合町大和田と斑鳩町目安を結ぶ大城(だいじょう)橋という、今では珍しくなった沈下(ちんか)橋がある。 潜水橋(せんすいきょう)のことで、増水すれば沈んでしまう。
 「なぜそんな橋を」と疑問に思うかもしれないが、利点はある。
 川に架かる橋の多くは堤防と堤防に架かるが、沈下橋は河川敷と河川敷に架かる。そのため、全長は短く橋脚も低くなり、工事が簡単だ。増水時に沈めば水の抵抗が少なく、水面を流れる漂流物も避けられる。
 一般の橋の場合、河川の洪水があると、その度に橋が流されたり、破損したりする。かつて重機がなく、人力による工事が大変な時代には、被害を最小限にする知恵を生かした画期的な橋だった。
 難点は、大雨が降ると渡れないので、結局遠くの橋へ迂回しなければならない。水の抵抗を低くするために欄干がないので、転落の危険度も高い。橋の北側の堤防に小さな慰霊碑があり、不幸な事故を物語っていた。
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  河合、斑鳩両町を結ぶ沈下橋の「大城橋」
 愛用のバイクで橋を渡ってみた。幅が狭く水面も近い。堤防からは静かに見える流れも、速く感じる。緊張したが、意外に利用者は多く、10分程度の間に数台の自転車やバイクが渡っていった。
 慣れているのか、スイスイと走ってゆく。自転車に乗った学生グループが、会話をしながら横並びで渡っている。見ているこちらが怖い。
 時代の流れに勝てず、子供の頃には珍しくなかった沈下橋も、この辺りではこの橋以外、目にすることもなくなった。
 しかし、過去に他にも沈下橋が架かっていた姿を伝える絵がある。
 少し上流の安堵町の出身で人間国宝の陶芸家、富本憲吉(とみもとけんきち)の代表作品に「大和川急雨」という名作がある。
 ある日、富本が釣りをしようと大和川に出かけた際、急に雨が降り出した。その情景があまりにも美しく描きとめたいが、目的が釣りなのでスケッチする道具がない。そこでタバコの内紙にマッチの消し炭で書いたのが「大和川急雨」だ。
そこには、大正時代の大和川に架かる沈下橋と、降りすさぶ雨が描かれている。富本はこの絵がお気に入りで、何度も作品に使っている。
 「最後の清流四万十川の沈下橋めぐり」。こんなツアーの広告を見かけた。
 四万十川は日本を代表する清流で、こちらは残念ながら水質改善が話題になる大和川。
 川と沈下橋に変わりはない。水の流れにも、時代の流れにも耐えて、頑張っている姿を見るのは良いものだ。

(奈良まほろばソムリエ友の会 西川誠)
富本憲吉作の「大和川急雨」  
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