なら再発見
第43回へ                  第44回 2013年9月7日掲載                  第45回へ >
談山神社のけまり祭 ―― 大化の改新の縁 大切に継承
 
 桜井市の南、多武(とうの)峰の談山(たんざん)神社は春と秋に「けまり祭」を行う。境内の一角に青竹を四隅に立てた鞠庭(まりにわ)で蹴鞠(けまり)を奉納する祭りである。
 蹴鞠はサッカーのリフティングを思わせるような演技で、鞠を順次蹴り上げ、地面に落ちると中断する。演技の連続が面白く、ラリーが続くと歓声や手拍子の応援も出て、静寂な談山神社はいつになく沸き立つ。
 演者の男女は平安時代の貴族を思わせる装束に身を包み、「アリ」「ヤア」「オウ」の3声を掛けあいながら蹴り回す。
 ひとつの鞠を落とさないように、鞠庭にいる全員が心技を一体にして蹴り続ける。背筋を伸ばした優雅な姿勢で長く蹴り続け、勝負は競わず、相手が受けやすい鞠を打ち続けることが上手といわれる。
 青壮年は若さの力、年配者は円熟の技で、年齢や性別に関係なく楽しめる蹴鞠はスポーツとしても優れている。
        *   *   *


談山神社のけまり祭=桜井市

 鞠には特徴がある。白く塗り上げられた鞠は鹿革製で、中空。重さは約120グラムと、サッカーボールの3分の1ほどだ。
 鞠作りをする一人に、桜井市の藤田久沙夫(ひさお)さんがいる。藤田さんは「鞠は2枚の鹿革で作ります。つなぎ合わせた革袋の中に麦を詰めて形を整え、白く塗り、穴から麦を抜きとって中空の鞠に仕上げます」と作り方を説明してくれた。「10年がかりの試行錯誤の末、やっと納得のいくものができました」と顔をほころばせる。
 藤田さんの作った鞠はけまり祭で使われたこともあり、さらに談山神社から日本サッカー協会に寄贈され、日本サッカーミュージアム(東京都文京区本郷)の「ボールの歴史」コーナーにも展示されている。
 


けまり祭で使われる鹿革製の鞠
               *   *   *
 日本書紀によると、「中臣(なかとみ)(藤原)鎌足は専横を極める蘇我蝦夷(えみし)、入鹿(いるか)の親子の打倒を考え、中大兄(なかのおおえの)皇子(天智天皇)に近づこうと考えた。法興寺(飛鳥寺)の槻(つき)の樹の下で皇子が鞠を打つ、そのとき沓(くつ)が抜け落ち、鎌足が拾った。ひざまずいて差し出すと皇子もひざまずいて受け取った、と記(しる)されている。
 これが大化の改新(645年)の大業成就(たいぎょうじょうじゅ)の始まりとされ、この縁(えにし)を大切にして談山神社はけまり祭を行うのだそうだ。
 日本書紀にある「鞠を打つ」という競技は、今日のポロやホッケーのような競技だともいわれる。また「鞠を打つ、沓が抜け落ちる、拾う」という一連の動作からは、現在の蹴鞠の姿を感じ取ることもできる。
 今となっては当時の競技内容は定かではないが、古代のボールゲームが大化の改新に役割を果たしたことは間違いのないところだ。
 現在、談山神社で行われている蹴鞠の形は平安時代に完成した。清少納言が「枕草子」の中で、蹴鞠は面白いと書くほどの隆盛期を迎えるが、その後は盛衰を重ねた。今は京都蹴鞠保存会が、その文化と技術を継承している。
 談山神社の春のけまり祭は4月29日(昭和の日)、秋のけまり祭は11月3日(文化の日)、いずれも同社のけまりの庭で行われる。

(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 雑賀耕三郎)
なら再発見トップページへ
COPYRIGHT (C) 奈良まほろばソムリエの会 ALL RIGHTS RESERVED.