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中将姫と中将湯 ―― 当麻寺練供養は5月14日
 
 中将姫(ちゅうじょうひめ)のことを何も知らなかった子供の頃でも、「中将湯(ちゅうじょうとう)」の名前は記憶に刻まれていた。
 私の故郷の銭湯にお姫様のマークがついた「中将湯」の看板があり、永らくそれが銭湯の名前だと信じ込んでいた。しかし、それは「浴剤中将湯」を導入した「特約浴場」を示す看板だったと、最近になって知った。この入浴剤が後に、「バスクリン」に発展する。主成分は婦人薬「中将湯」原料の生薬で、温泉のように温まると評判だったそうだ。
 入浴剤も婦人薬も株式会社ツムラの製品で、そのネーミングは中将姫に由来する。
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 中将姫とは、当麻(たいま)寺(葛城市)の曼荼羅(まんだら)を織ったとされる伝説上の女性。中将姫の物語は、継子(ままこ)虐待と「当麻曼荼羅」の話だ。
 継母が家臣に姫の殺害を命じたことで、姫は雲雀山(ひばりやま)で殺されることとなった。しかし姫は、家臣の夫妻にかくまわれて命をつなぐ。
 後年、雲雀山で狩りの途中、父・藤原豊成(とよなり)は偶然姫を見つけ、再会を喜び館へ連れ帰る。姫は帝に望まれるほどの美貌だったが、仏道への志が深く、ひそかに館を抜け出して当麻寺に入って尼となる…。
 豊成の邸宅跡には誕生寺、徳融寺、高林(こうりん)寺という3寺が残る。いずれも奈良市の奈良町にあり、奈良時代、姫はここで生まれ育ったと伝わる。
 姫が捨てられたという雲雀山の所在地については、諸説ある。
 宇陀市の日張(ひばり)山、和歌山県有田市の雲雀山、謡曲「雲雀山」に「大和(やまと)紀(き)の国の境なる雲雀山」(奈良と和歌山の県境)とあることから和歌山県橋本市の雲雀山。私は故郷・和歌山県九度山町に近い橋本説をとりたいが、一般的には宇陀説が有力だ。そこには姫が建てたという青蓮(せいれん)寺も残る。
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 ツムラ創業者の津村重舎(じゅうしゃ)は宇陀の出身で、青蓮寺の有力な檀家(だんか)だった。津村の母親の実家には逃亡中の中将姫をかくまったお礼に製法を教わったという秘薬が伝わり、それが、後に中将湯になったそうだ。
 姫が蓮糸(はすいと)により一夜で織り上げたと伝えられるのが、俗に「当麻曼荼羅」と呼ばれる浄土変相図だ。
 浄土変相図とは浄土の様子などを描いた仏教絵画。当麻曼荼羅は智光(ちこう)曼荼羅、清海曼荼羅とともに日本の浄土三曼荼羅として知られる。近年の調査によれば、当麻曼荼羅は絹糸の綴(つづ)れ織りで、唐からの伝来品ともされる。
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当麻寺境内にある中将姫のブロンズ像=葛城市

 姫にまつわる伝説の残る当麻寺では、毎年5月14日、「聖衆来迎練供養(しょうじゅうらいごうねりくよう)会式」が営まれる。二十五菩薩来迎(らいごう)会ともいうが、一般には当麻のオネリ、当麻レンゾとして知られる。
 観音菩薩、勢至(せいし)菩薩などの二十五菩薩に扮装(ふんそう)した人々が、西方極楽浄土に見立てた曼荼羅堂から、人間世界である娑婆堂(しゃばどう)へ赴き、姫を蓮台にすくいあげて再び浄土に戻る様を表現した宗教劇だ。
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 NPO法人奈良まほろばソムリエの会は5月14日、「当麻寺練供養の日、中将姫ゆかりの地を巡る」と題したウオーキングツアーを実施する。姫ゆかりの石光(せっこう)寺や墓所を参拝したあと、当麻寺で練供養を見学する。参加費は1人300円。詳しくは会のホームページの「まほろばソムリエと巡る大和路ツアー」(http://www.stomo.jp)。


(NPO法人奈良まほろばソムリエの会専務理事 鉄田憲男)

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