やまと百寺めぐり
< 第30回へ 第32回へ >
第31回 2019年11月14日掲載
南朝の宮無念の最期  瀧川寺(上北山村)


かつて転法輪寺の御本尊だった仏頭=同寺提供

 県南東部「奥の奥」にある上北山村は、東の台高山脈、西の大峯山脈に囲まれた大自然の中にあります。村の中を北から南へ熊野灘に注ぐ北山川の支流で、清流の清流の小橡(ことち)川に沿って村役場からさか上ること2キロにあるのが、瀧川寺(りゅうせんじ)です。
 1392(明徳3)年の南北朝合一後、和睦の条件が守られないため、南朝方は1443(嘉吉3)年に京の御所に乱入して三種の神器のひとつ神璽(しんじ)(勾玉[まがたま])を奪い吉野へ持ち帰ります(禁闕[きんけつ]の変)。南朝・後亀山天皇の玄孫(孫の孫)自天王(じてんのう)(北山宮[きたやまのみや])は、この寺を北山宮御所としました。弟の忠義王(河野宮[こうののみや])は川上村に川上村に神之谷(こうのたに)御所を設けました。
 ところが、1457(長禄元)年12月2日の粉雪の夜、赤松氏の残党にこの二つの御所が襲われます。あわてて応戦しましたが突然のことで、2人の宮はあえなき最期をとげました。自天王は享年?といわれています。 自天王の墓が寺の境内にあり、北山宮墓として宮内庁が管理しています。毎月打月2日には法要が行われます。

【奈良まほろばソムリエの会会員 前田景子】



■宗派 曹洞宗
■住所 吉野郡上北山村小橡228
■電話 0746-83-0066
■交通 近鉄大和上市駅からバス「河合」下車、徒歩約20分
■拝観 境内自由(無料)
■駐車場 有(無料)



トップページへ
COPYRIGHT (C) 奈良まほろばソムリエの会 ALL RIGHTS RESERVED.