やまと百寺めぐり
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第68回 2020年09月10日掲載
南朝と小楠公ゆかり  如意輪寺(吉野町)


江戸時代に改修された如意輪寺の本堂(旧如意輪堂)=吉野町吉野山で

 如意輪寺は、延喜年間(901~923年に)、醍醐天皇が帰依された日蔵(にちぞう)上人により創建されました。当時は真言宗でしたが、江戸時代に浄土宗に改宗しました。金峯山寺蔵王堂の峰筋とは谷を隔てた東の峰にあります。
 1336(建武3)年からの南北朝時代に、後醍醐天皇が南朝の勅願寺とされました。御霊殿には天皇御自作の木像が祀(まつ)られており、境内には京都がある北を向いた塔尾陵(とうのおのみささぎ)があります。『太平記』によると、1347(正平2)年12月、楠木正成(くすのきまさしげ)の遺子・正行(まさつら)(小楠公[しょうなんこう])は、一族郎党と共に吉野山を訪れ、後村上天皇に拝謁した後、塔尾陵に向かいました。
 陵前で、四条畷の合戦に向け誓い合うとともに、如意輪堂(現本堂)の壁板に名を書き連ね、最後に正行が辞世の歌「かへらじと かねて思へば 梓弓(あづさゆみ) なき数に入る 名をぞとどむる」(生きては帰るまいとの思いを込めて名を書き連ねる)と書きました。その後、各々が髻(もとどり)(まげ)の一部を切って仏前に奉納し出陣しました。
 御霊殿の御門横には「正行公埋髷(まいけい)塚」と江戸時代末に紀州藩士・津田正臣が建立した「小楠公髷塚碑」があります。
【奈良まほろばソムリエの会 会員 池内力】



■宗派 浄土宗
■住所 吉野郡吉野町吉野山1024
■電話 0746・32・3008
■交通 近鉄吉野駅からささやきの小径を抜け徒歩約40分
■拝観 9~16時、500円
■駐車場 有(無料)



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