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第99回 2019年01月24日掲載
「応仁の乱」証人しのぶ ―― 奈良市の大乗院門跡大安寺墓所


大乗院門跡大安寺墓所の石標=いずれも奈良市で

 「応仁の乱」(呉座勇一著、中公新書)は、乱の時期に興福寺のトップ・別当であった大乗院門跡経覚(だいじょういんもんぜききょうがく)の日記「経覚私要鈔(しようしょう)」と次代の大乗院門跡尋尊(じんそん)の日記「大乗院寺社雑事記(ぞうじき)」に書き残された奈良から見た乱の様子を基にしています。
 4度も別当を務めた経覚の墓があるのが、大乗院門跡大安寺墓所です。復元された大安寺北面中房跡(僧坊跡)の道を挟んだ向かい側に石標が立っています。中へ入ると、三つの墓標や墓石、五輪塔などが並んでいて、真ん中の墓標が経覚のものと伝わります。
 奈良時代に官大寺として威勢を誇った大安寺は次第に衰微し、室町時代には大乗院門跡の隠居所として己心寺(こしんじ)がありました。経覚は引退後もここを拠点に活動し、大和の動乱に影響を与えました。
 なお尋尊は、興福寺境内の菩提院大御堂(ぼだいいんおおみどう)の南東隅に墓所があります。


【奈良まほろばソムリエの会理事 石田一雄】



経覚大僧正の墓標(手前中央)

■メモ■

JR奈良駅からバス「大安寺」下車徒歩5分
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